デキ婚離婚計画から離婚まで②

離婚までの道

こんにちは。

ただのママです。

前回第一弾としてザックリと馴れ初めから結婚式の余談まで書かせていただきました。

デキ婚離婚計画から離婚まで①

今回は第二弾!

妊娠発覚から妊婦生活中についてです!

妊娠発覚

前回お話ししたようにデキ婚でした。

全くの予想外のデキ婚。

焦りましたね。母にも言えず、なんなら彼にも言えず。笑

なんとなく自分の身体が変だぞ?という感じともはや勘を頼りに仕事帰りの駅のトイレでやった妊娠検査薬。

何度もやっても結果は同じでした。

当時喫煙者だった私はすぐにタバコをやめ、そこで両親は薄々気づいてたみたいです。

そしていつかは言わなければいけないわけですね。

あまり記憶にないですが…笑

おそらくLINEで言ったと記憶しています。笑

そしてあまり記憶にない中で記憶にあるのは俺の子なの?って言われたことです。

全く喜ぶこともなく、むしろそれなら逃げて欲しかったレベルです。

そんなクソ女だと思われていたことにショックでした。

親に報告したのは病院へ行った後です。

妊娠8週目の時でした。

幸い全くつわりがなく、辛い妊娠初期というわけではなかったです。

母の第一声は「なんで」だったのは覚えています。

当時、母は彼との交際自体反対で別れたことも知っていたので「なんであんなやつとまた…」って感じでした。

でも授かりものだから。って彼のことを言葉に出して悪くいうことはしなかった母には感謝しています。

そして今後どうするのか。2人で話し合いなさい。と預けてくれた両親でした。

とここまでざっくりなお話なのは私の中で記憶を抹消している部分が多々あるからです。

私の確かな記憶は妊娠発覚から妊娠5ヶ月くらいまで毎日泣いてた記憶だけです。

多分結婚しようというプロポーズを受けたわけでもないしなんとなく流れでいってしまいました。

入籍日すら実は現在覚えておりません。

いうのもこの日仕事休みだから。という理由で入籍したからです。

こんな人と結婚した若かりし頃の自分を本当恨みます。笑

妊婦検診

妊婦検診は自分自身はしっかり行っていました。

エコーが見れる妊婦検診はすごい楽しみと同時に月に一回の検診は不安だったことも覚えています。

本当に順調に成長しているのか?

むしろ生きているのか?

不思議な感覚でした。

そして楽しみにしてくれる人も居なければ親バカみたいにエコー見て将来整った顔になりそうだね〜^ – ^なんて会話する人すら居なかったからです。

こんなに望まれてない子を産んで幸せにできるのだろうか?

この子を望んでるのって私だけじゃないか?私だけが色んな人の愛の分を与えられるのだろうか?

すごい不安で毎日変わった子が産まれてくる夢を見てました。(顔だけ犬とか。笑)

毎日毎日夢にうなされて起きる。

そんなことを相談できる相手も居なくてひたすら毎日泣きながら過ごす日々でした。

唯一の救いは当時働いていた職場がとても温かかったことです。

妊娠後期は妊婦検診についてきてくれることはありましたが、エコーを見てもノーコメント。

ついてきたとしても車で送ってくれてずっと車で待ってる。

そんな感じでした。

出産準備

妊娠後期にもなると出産に向けてラストスパートという感じですよね!

お洋服買ったり哺乳瓶やらミルクやらなにやら…

いろいろ準備品というものがあります。

その準備ですら殆どが私が決めたものでした。

そしてお金を支払ったのも全額私。笑

本当になんでこの人結婚するって言ったんだろう?って謎でしたね。

やってくれたことといえば車を出してくれたくらいです。

一緒に行ったのに荷物を持つよ。という心遣いもなかった記憶です。

帰ってきてからもせっせと家中を掃除したり、お洋服に水通ししたり。

なーんにも知らない彼はタバコをぷかぷかぷかぷか。今思うと何故私はもっと早くに離婚しなかったのか謎です。笑

馬鹿な女ですね。

記憶が曖昧な理由

これは補足のような感じなのですが

記憶が曖昧な理由です。

人間ってうまいこと作られていて本当に辛いことはもちろん覚えていますが

日々が辛いと記憶がすっぽり抜けたみたいにあまり記憶に残ってないんですね。笑

離婚成立から2年半ほど経ちましたが記憶にないことが多く、なんで離婚したのか?と聞かれても今となってはなんだっけ?のレベルになっています。

おそらくこれからもどんどん時間と共に記憶は薄くなってくると思います。

記憶が薄くなってると気づいた今、残しておこうと思い書いています。

ですのでただの自己満足な私の結婚生活の形跡です。

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